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谷事務局長「東奔西走」

東奔西走 第2回

今月の谷事務局長の東奔西走

今回は、去る7月15日、死去された(株)スーパーテレビジョン社長、河井昭さんの追悼として、河井社長のテレビマンとしての足跡を辿りながら、故・河井昭社長を特集したいと思います。

 

さて、この特集の冒頭に皆さまのお耳に入れていただきたい、あるエピソードがございます。それは、河井社長死去の半年以上前に遡ります。

ある晩、谷事務局長と河井社長、二人は旧知の間柄で酒を酌み交わしておりました。

その席で、河井社長の年齢の話しになりまして、河井社長が76歳だと知った、谷事務局長が「それじゃ、河井さん、3年後の数え年で80歳になった時の誕生日に“生前葬”をやったらどうですか?」という話しを提案したのです。

その席で、故 水の江滝子さんの話しも飛び出し、彼女も生前葬をやり当時の芸能ニュースにもなったよね。とか、だんだん盛り上がっていきました。

「それに生前葬のいいところは、変な話し、死んでからお葬式を出して、いくらたくさんの人が参列して、故人を偲んだり、讃えられても、自分には見えないじゃない。

そこいくと、生前葬だと、本人の前で皆がシャレを言ってくれたりで楽しいよ。」と、二人は盛り上がり更にその演出プランにも話しは及びました。

「昔、観た映画で“清水の次郎長”ってあったでしょ。あの映画の中で、死者が樽の棺桶の中に入れられて、三角巾をおでこにあてられた姿で、みんなに担がれて登場するシーン、あったじゃない。アレやろうよ。」

そんな話しまで出て、その晩、二人は酒の席、大笑いしたのでした。

すっかり乗った河井社長は、部下で取締役の松崎俊顕さんに「オレ、3年後、生前葬やるからさ。よろしくね。」と、告げ3年後の誕生日の日に全日空ホテルまで予約していたのでした。

そして、今年の春頃の広報委員会の席上で松崎さんの方から「うちの河井社長が3年後の誕生日の日に生前葬をしたがってるんですよ。皆さん、その折には、色々と協力してもらっていいですか?」という話が出ておりました。

シャレの好きな河井さんらしく、面白いことを考えるなぁと感じておりました。

 

それから、数ヶ月後、突然の訃報を聞き、全広報委員は大変に驚いたわけです。シャレっぽく生前葬をやりたいと言っていた方が皮肉にも本当の葬儀をやることになろうとは……。

 

河井社長は今年6月、検査入院で病気が見つかり、入院1ヶ月で病状が急変し、 2010年7月15日午前7時05分、呼吸不全により77才で亡くなりました。

 

この突然の訃報に、澤田会長をはじめ、谷事務局長も大変なショックを受けました。

河井家と(株)スーパーテレビジョンの合同葬として、芝増上寺でしめやかに葬儀は行われたのですが、この時の葬儀社及び、生花店の仕切りを精力的に谷事務局長が手伝い、東奔西走されました。

そもそも、澤田会長、谷事務局長と河井社長との関係は実に古く、そして深いものがありました。

河井社長のスーパーテレビジョンが日本映像事業協会に入会したのは、協会設立4年後(平成7年)のことでした。

以来、協会の行事には全て参加し、重鎮として活動していただきました。

一方で、社員想いの河井社長は、平成11年にヤングクリエイター賞を自社のディレクターが受賞した際には、我が事の様な喜び様で、大変熱心に本人に付き添っていたものです。

(「密着1730日アフリカから来た花嫁 肝っ玉 母さん奮闘記」~タンザニアから東北の農家へ涙で結ぶ母娘の絆~/テレビ東京で受賞)

 

そんな河井社長の経歴をここに紹介致しましょう。

 

河井昭

昭和8年5月28日生

<学歴> 麻布高校卒業 慶応義塾大学経済学部卒業

<職歴・作品歴>

昭和32年 中部日本新聞社 事業局ニュース部   入社
38年 9月 中部日本新聞社 中日ニュース      退社
10月

株式会社テレビ東京 撮影部       入社

『1963年』ドキュメンタリー30分番組、第一回『がんばれ』カービー担当カメラマン 以後、『未知への挑戦』等ドキュメンタリー番組平均月1本制作 テレビドラマ『ここに泉あり』オールフィルムカメラ担当 その他、テレビドラマインサート担当 『ベトナム戦線』『インドネシアと日本』『ドキュメンタリー青春』『世界の主役』(2年間チーフカメラマンとして制作その他特番等) 田中角栄総理大臣訪欧・訪中随行カメラマンとして奮闘。

昭和46年 7月

株式会社テレビ東京 演出局転属(プロデューサー業務)

『イーデスハンソンのうわさの報告書』「独占男の時間」『ロンゲストショー』『女子格闘技選手権』『人に歴史あり』『素敵なこの人』『北方領土』『金曜スペシャル』他特番

6年間『日曜ビッグスペシャル』チーフプロデューサー担当 『そっくりショー』

『スターマル秘どっきりカメラ』『外国人歌謡大賞』『出合いの街角エトランゼ』『土曜スペシャル』『タウン情報』など視聴率男として活躍!

昭和62年 3月 株式会社テレビ東京 編成局編成部
平成 2年 5月 株式会社テレビ東京 一次定年退職
平成 3年 3月 株式会社スーパーテレビジョン 設立 代表取締役社長就任

若き日は報道カメラマン、戦場カメラマンとして活躍した河井社長。

中年期には、ドキュメンタリーをはじめとしてトーク番組、バラエティ番組とオールラウンドに活躍。

テレビ東京退社後は、(株)スーパーテレビジョンにて若手育成に尽力し、亡くなるその日まで現場型の社長として引退という言葉を知らなかった人。

 

いつもニコニコと笑うその瞳の奥では、常に真実を見つめ、人間の喜怒哀楽を表現し続けました。そして面白い事が大好きで、粋な男らしいプロデューサーでした。

 

最後の最後まで、テレビマンとして生きた人、河井昭さん。

安らかに眠って下さい。合掌。