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広報委員が行く!会社訪問

株式会社日テレ アックスオン

所在地:東京都千代田区二番町14
日テレ麹町ビル南館6F
電 話:03-3222-3150
FAX:03-5275-3488
HP:http://www.ax-on.co.jp
代表取締役:足立久男

 

広報委員の会社訪問。今回は制作会社としては超ド級!従業員670人を誇るマンモス&マルチな会社、AXON(アックスオン)様を訪ねました。 AXONの設立は古く1970年2月、日本テレビ100%出資の子会社として発足。
そして2007年4月(5年前)に日本テレビ系列の子会社4社を統合して、日本テレビグループ唯一の総合映像制作小会社AXONが再生しました。その4社とは、 株式会社 日本テレビエンタープライズ、株式会社 日本テレビビデオ、株式会社 NTV映像センター、株式会社 日本テレビアートです。その大規模な会社の全貌は以下の通りです。

 

インタビュー:広報委員(有)オフィスぼくら 岩立良作
写真:ウッドオフィスグループ(株) 岡村宇之
(2012年4月取材)

[AXON 会社概要]

商号: 株式会社日テレ アックスオン
AX-ON Inc
設立: 1970年(昭和45年)2月10日
資本金: 5,000万円
年商: 195億円 (2011年度実績)
従業員数: 653名(2011年11月)
株主: 株式会社日テレ・グループ・ホールディングス(100%)
事業内容: ■テレビ番組制作
(ドラマ/バラエティ/音楽/スポーツ/ニュース・報道/情報エンターテインメント/ドキュメンタリー)
■コンテンツ制作
(劇場映画/VFX/3D映像/CM/プロモーション/携帯動画/web動画/ブロードバンドコンテンツ/官公庁・自治体・民間企業向け各種DVD・CD-ROM制作/笑点カレンダー制作・販売)
■デジタルコンテンツ
(字幕放送・データ放送コンテンツの制作・進行/メタデータ事業/映像ライブラリー)
■コンテンツビジネス
(コンテンツライツ<著作権二次利用>/海外向け番組販売<セールス・権利処理>)
■各種ビデオソフト・インターネットホームページ制作及び販売

 

どうです?一制作会社というよりまるでテレビ局そのものといったサイズ。この新生AXON設立に5年前に尽力したのが桜田和之氏(現日本テレビ放送網株式会社 人事局局長)桜田氏の後を受けて、二代目社長となったのが小杉善信氏(現日本テレビ放送網株式会社 常務取締役)。そして、小杉氏の後を受けて、三代目社長となったのが現社長、足立久男氏で今回の取材を快く受けていただきました。
足立社長曰く「AXONは桜田さんが土台を築き、小杉さんに成長・躍進させていただいたので私は、そのAXONの夢の扉を開くのが仕事だと考えております!」との事。
ずっと報道畑で過ごしてきた足立社長“報道出身”と聞いていたので固い方をイメージしていたら、ものすごく明るくよく笑う方だったのでこちらも気楽にインタビューできました。
では以下は、足立社長のこれまでの足跡をご紹介しましょう。

 

【入社して社会部へ】

足立社長は1977年(昭和52年)日本テレビ入社。入社して配属されたのは 社会部(今の報道局)。最初にADとして就いた番組は「ジャスト・ニュース」。司会は、福富達さん、アシスタントは石川牧子さん。1年間の社会部を経て、その後、外報部へ。外報部では海外ニュースを主に取り扱っていた。

 

【「足立、お前、行け!!」人生へ】

入社8年目。外報部、報道部にも慣れ、働き盛りだった1985年、足立社長に上司から辞令が下る。
「足立、お前、カイロへ行け!!」という言葉だった。聞けばエジプト、カイロ支局の支局長とのことだった。会社からの命令を断るわけにもいかず、妻子を伴なって、カイロへ赴任となった。ところが行ってみると支局長とは名ばかり。部下の一人もなく、実はAD兼ディレクター兼支局長ということだった。

それでもカイロで用意されていた家は市内の一等地に建ち、運転手、メイド付きの結構な邸宅ではあった。
慣れない異国の地ではあったが足立一家はそれなりに順応しての新生活が始まった。しかし、当時まだまだ低開発国であったエジプトでは日々の暮らしに問題がなくもなかった。
例えば食料。なんでもある日本と違って、いろんな物がスーパーに行っても並んでなかった。味噌、醤油は勿論、日本食が全くない環境。
そこで足立社長はOPECとかの取材でヨーロッパへ行く時には、エジプトに売ってない食料の買い出しをしていたそうです。

また、衛生面でも劣悪だったエジプトでは足立社長の小さいお嬢さんにも問題が起きた。当時、最も程度のいい幼稚園に行かせていたそうですが、ある日お嬢さんが幼稚園から帰ってくると頭に何やら白い物が浮いている。よく見るとそれはシラミだったのです。また、そのお嬢さんが尿道炎にかかってしまったこともあったそうです。
当時カイロでは下水道が完備されてなくてカイロ市内の側溝では、ドブがむき出しで、よく汚水があふれていたりしたそうです。ちょうど日本の終戦直後の状態だったようです。
メイドのおばさんにも問題がありました。貧しいからでしょうか。ちょっとした家の中のものを目立たぬようにクスねる事件が頻発したそうです。細かいところだと、例えば鳥を一羽買ってきてメイドにさばかすと、食卓に出てくるボリュームがどうみても一羽分もない。どうやら鳥一羽の半分くらいを自分の子供用にクスねて持って帰っていたそうです。

当時のアラブは3年3ヶ月に及ぶイラン・イラク戦争の真っ只中。緊迫した情勢の中、結構物騒な取材もあったそうです。 ある時は、本国、日本テレビ報道部から、あるミッションが…それは
「足立、お前、リビア行け!!そしてカダフィ大佐の演説写真を撮って来い!」 というものだった。
「取材費はローマにアシスタントを行かせたからそいつに待たせる。」
で、足立社長は、即ローマへ飛んだ。ローマでアシスタントと合流したが驚いたことにアシスタントは現金を持っていなかった。なんの手違いか知らないがそんなことを追求している時間もない。仕方なく、足立社長はローマ市内の日本食レストランに飛

び込んで「日本テレビの者ですが、ぶしつけですが取材費がなくて…お金を貸してくれませんか?」と頼み込んで1200ドルを金策した。そして、そのお金でカメラマン1人と助手1人を雇った。
そしてローマ空港からミラノへはAMEXカードでチケットを購入できたが、ミラノでリビアのトリポリ行きのチケットをAmexカードで買おうとしたら、アラブ圏では当時、敵対国であったアメリカのカード会社は使えないと断られ、やむなく現金で3人分の片道切符だけ購入することに。で、再び現金が無くなった足立社長。リビア トリポリへ向かう飛行機に乗ったが着いてもまた金に困る事は目に見えていた。

で…再び金策しなきゃと思い…機内の乗客をぐる〜っと見回した。…と、いたいた!日本人が!!
で、足立社長その人のところに近づき事情を話してみると、これがまたナント世界を股にかける伊藤忠商事のトリポリ支店長だった。
「ウ〜ン、そんなにお困りならお金を貸しましょう。但し、リビアは入国時に財布の中身を調べ、出国時に1円でも換金証明済みの残金と合致しなければ、収容所送りになります。そんな日本人を何人か見ています。ですから、空港から強制送還でイタリアに戻ったほうが、いいですよ!」との忠告。
で、空港に着いた足立社長、「多分アラブ人は、財布のチェックはそのうち飽きるだろうから、最後部で待とう」と決め、所持金申告書に架空の6,000ドルと記入、運を天に任せて列に並んでいると、案の定、税関担当が財布の中身を見なくなり、「いまだ!」とばかりに入国審査を突破、入国してしまいました。そして、翌日、伊藤忠の支店長に電話して「お金を借りたい」と告げ、ホテルの喫茶店で待ち合わせました。

で、現地に着いてホテルで待っていると件の支店長がサンタさんが持つような袋を持って現れた。「あれ?!6000ドルにしては大きな袋だな」と思っていると、貸して頂けたのは何と現地通貨だったのです。
ただ、ドルから現地通貨への換金証明がないと、このお金は使えません。
困った、足立社長はその夜、ホテルのロビーが閑散とした頃に助手に指示を 出します。「ホテルのフロントに行って、ボスが換金証明を失くしたが現金はあるので、10日分のホテル代金をデポジット(前払い)したい」 助手は、その足でロビーに行き、ミッションを無事やってのけました。
「ああ、これで一安心!」と思っていた矢先のことでした。

ホテルの部屋をノックする者がいる。誰かと思って出てみると見知らぬリビア人がそこに立っている。その男が言うには「さっき、このホテルのロビーで受け取っていた袋は何かね?」と。
実はこの男、リビア秘密警察の男だったのだ。政情が不安定なこの地域では秘密警察があちこちにいて人々の動向を常に監視しているというのだ。
足立社長はこの秘密警察の男に別室に呼ばれ、詰問されたが、全て事実を否定したところ、男は「では国外に退去せよ!」と通告してきた。しかし、帰りのチケットを買うこともできないので、腹を括って居残ることに・・。そして、情報筋からカダフィ大佐がトリポリ郊外に来て演説をするという報をつかみ、その地域に行ってみた。
と、その情報は本当で数日後カダフィはその地に現れた。そして演説が行われたのだった。
足立社長は演説の様子を写真、ビデオで撮る事に成功。晴れてミッションを遂行することが出来たのだった。
尚、数日後、共同通信の支局長が6000ドルを隠し持って入国してくれたため、そのドルを換金し無事出国できたそうだ。
3年半の間いろんな事があったカイロ支局長(特派員)を終え足立社長は日本に帰国。

 

帰国後、就いた仕事は「今日の出来事」の取材ディレクター。戻ったその4月に60分に拡大した「今日デキ」。そこで伝えられた次のミッションはー

「足立、お前、国境紛争地帯へ行け!!」目指すはタイ周辺の国境だ。“今日デキ”のリニューアル1週目の特集を撮ってこい。10分×6本の特集としてまとめてこい!」というものだった。そして、このロケには戦争ジャーナリストとして2004年に戦場で殉死した橋田信介さん(当時日本電波ニュース所属)が同行し、取材するという。
ようやくエジプトから帰国したらまた次のミッションが結構キツいロケ。ちなみにその集大成は、「NNNドキュメント」として一本にまとめたそうです。

報道とはいえ、なにかと世界のキツイ場所に行かされる足立社長の人生ですがその後は「プラス1」のプロデューサーを経て、今度は1991年にまたまたミッションが。

それは
「足立、お前、ワシントンに行け!!」でした。それまでと比べると比較的穏やかな場所。しかも、アメリカの政治の中心地。足立社長は家族を伴って赴任しました。ワシントン支局長ともなると報道局の中でもエリートコース。それは比較的ご陽気に過ごせたのですが、そんなお気楽も長くは続きませんでした。

 

やがて北アフリカのソマリアで紛争が始まると 「足立、お前、ソマリアに行け!!」との辞令が。 このソマリア行きで苦労したのは移動の足だったそうです。ソマリアに行くにはまずケニアへ行ってそこから小型機をチャーターしてソマリアを目指さなければいけなかったのです。それも普通機がなくて麻薬密輸で使う機しかなかったとか。そこで足立社長、パイロットに「麻薬を全て下ろして、機材を積み込め。そして国際空港に向かえ!」と伝えました。パイロットは多額な現金を入手したこともあって上機嫌で「OK!サー」との返事。そして離陸、ソマリア上空に入り降下し始めた時、改めて「国際空港だぞ!」と確認するとパイロットは「いや、旦那降りられません。だってこの機は所詮、麻薬の密輸用ですから」とのすげない返事。

で、目の前に広がるのは森。結局着陸したのは、 ジャングルに簡易的に作られた狭い飛行場だったのです。
そこからは自動車で移動。ぶっそうな地域なのでボディガードが4人乗りこんでの移動。
そうこうしてようやく着いた首都のモガディシアでは外交官の空き家を借りて取材活動をした。なにせ、超低開発国で紛争地域なため食料事情も悪く、食料は闇で買っていたので、現地コックが調理した食べ物を食べたら全員が腹を壊す始末。
このソマリアでは、米軍が軍事的に監視している緊張地帯。その辺を取材して帰ってきたのでした。

1995年、4年いたワシントン駐在を終え、帰国。その後、外報副部長として穏やかに過ごしていたのも束の間、ペルーで日本大使館人質事件が勃発したのです。

で…
「足立、お前、ペルーへ行け!!」との命令が。
この時は十数人の部隊で行ったそうです。

その後はニュース編集部長となり「日テレニュース24」を立ち上げます。
が… その後社会部長の時にあの“9.11”事件が。

で…
「足立、お前、ニューヨークへ行け!!」の命令でニューヨークへ。
その後は、報道局長となり、約3年 ー
長かった戦場ジャーナリスト時代を終えて上り詰めた報道人生…。
「ニュースZERO」を立ち上げて順調にいっていると思いきや予想もしなかった大事件が起きます。
例の“バンキシャ”事件です。
この失態で当時、報道局の最高責任者の地位にあった足立社長は“解任”“降格”“出勤停止”いわゆる“閉門蟄居(へいもんちっきょ)”の身分を余儀なくされます。

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その後、言われた言葉が
「足立、ワーク24へ行け!!」

ワーク24で2年勤めた後の辞令が
「足立、AXONへ行け!!」
2011年6月AXONの社長となったのでした。

 

ここで社員の方に「足立社長はどんな人?」ということでインタビューをしてみました。
執行役員で企画戦略センター長の長濱薫さんに伺いました。長濱さんは「月曜サプライズ」を立ち上げ、E.Pながらムードメーカーでもあったキャラクターで フロアディレクターも兼務。MCのくりぃむしちゅーのお相手もしていた方。
2009年8月に現在の企画戦略センター長に就任しています。

 

Q.足立社長はどんな人?

責任は俺がとるから、君たちは好きな様にやっていいよ。 と言ってくれる豪放磊落(ごうほうらいらく)な方。とにかく明るくて何ひとつ隠さないオープンな人柄です。決断力がすばらしい好人物です。

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広報委員の後記!

取材文をおもしろくするため“足立○○へ行け”という縦軸で一見サラリーマンの転勤人生の様に書かしていただきました。スミマセン。しかし足立社長は「○○へ行け!」を自身で楽しみどこへ行っても明るくその現場をこなす、人生エンジョイ派の方だと感心致しました。シャレっぽく、そして、とても強い人物とお見受け致しました。

インタビュー:広報委員(有)オフィスぼくら 岩立良作
写真:ウッドオフィスグループ(株) 岡村宇之