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広報委員が行く!会社訪問

株式会社タイムワープ

所在地:東京都渋谷区神宮前6-10-11
原宿ソフィアビル6F
電 話:03-5766-6671
FAX:03-5766-6672
HP : http://www.timewarp.co.jp/
代表取締役社長:時盛裕行

 

「広報委員が行く!会社訪問」第26回は、映画情報番組のプロフェッショナル「株式会社タイムワープ」の時盛裕行社長を訪問。
どんな会社なのか、そして社長の人となりまでお聞きしました。

 

インタビュアー:広報委員 (株)スーパーテレビジョン 松崎俊顕
写真撮影:広報委員 WACホールディング(株) 岡村 宇之

 

 

神宮前交差点に近く、明治通り沿いのお洒落なエリアに位置する「タイムワープ」のオフィス。 一歩入ると、海外映画関連のポスターやグッズ、そしてこれまでにインタビューした映画スターたちのサイン入り写真が飾られています。

 

――では、早速インタビューを始めさせて頂きます。

 

Q.まず、「タイムワープ」という社名の由来は?

私の苗字が時盛なので、まず「時」の「タイム」ですね。 そして「ワープ」は、映画のSFXの中にタイムワープというのが出てくるんです。「時を超越する」みたいな感じで。会社がそうなってくれればいいなという気持ちもあって「タイムワープ」とつけました。短い言葉で、なかなかいい社名がつけられたと思っています。

 

Q.会社を設立して何年になりますか?

設立が1987年だから、27年ですね。

 

Q.会社の特徴は、どんなところでしょうか?

「株式会社タイムワープ」は、創業当時から特に映画の魅力を追求することを信念として、映画関連の情報番組を数多く制作してきました。まずそれが何と言っても、一番大きな特徴でしょう。
そして2つのグループ会社があります。 一つが「TimeWarp U.S.A Inc.」です。これは映画の都・ハリウッドの最新情報を収集する拠点として、ロサンゼルスに設置した海外法人です。地の利を活かして、多くのスターや映画監督にインタビューを行って来ました。
そしてもう一つが「株式会社デジタルタイムワープ」です。WEBサイトやモバイルサイトなどデジタル・コンテンツを制作していて、独自のエンターテインメント情報サイトを提供しています。 この3社が連携することで、様々なメディアに対応することができるのが、うちの強みであり、特徴だと思います。

 

 

ここで「株式会社タイムワープ」の概要を――。

 

設 立 1987年
資本金 10,000,000円
従業員数 21名(2014年10月現在)
業務内容 テレビ番組の企画・制作
映画の企画・制作
映画関連イベント企画・運営
各種イベントの取材・撮影
コマーシャルの企画・制作
企業向け映像の企画・制作
主な番組 テレビ朝日 『HELLO! MOVIES』
テレビ東京 『シネマ通信』『シネ通!』『劇場版NARUTO-ナルト-疾風伝』特番
フジテレビ 『ミッドナイト・アート・シアター』
BS日テレ 『セレブ通信』
BS朝日 『建物遺産』
BSフジ 『ジャパコンTV』
WOWOW 『ALL THAT MOVIES』
スカイパーフェクTV! 『ザ・シネマ』
アニマックス 『おまかせ!アニマックスNAVI』
ディスカバリーチャンネル各番組 ~他多数

 

 

Q.会社を設立する経緯を聞かせてください。

僕は、業界に入るのが遅かったんですよ。
25歳で九州から上京したんですが、それまでは薬の問屋のセールスマンでした。それから学校に行ったり、いろんなアルバイトをしたりして、30歳の時に、渡辺プロの関連会社の渡辺企画のコマーシャル部門に入社したのが、放送業界に飛び込んだきっかけです。
その後、34歳の時にコマーシャルをやっていた先輩のディレクターに呼ばれたんです。その人の知り合いにフジテレビの方がいて、その方から、これからはソフトの時代だから、ビデオを制作する会社を二人で設立したら、と言われたんです。当時捨てるものは何もないと思っていたので、やるしかないって、二人で作ったのが「ビジュアルアーツ」という会社でした。その会社では、ビデオ制作のため、ハワイロケを1ヶ月やったり、ロサンゼルス、グランドキャニオン、ラスベガス、サンフランシスコ…あちこち回りましたね。

 

Q.そこから独立したということですか?

前の会社をやっていて思ったのが、「一番のソフトは映画だ」ということでした。
そして番組を制作するなら、映画追求するのがいいんじゃないかと思ったんです。それで38歳の時に、前の会社は全部先輩に渡して、独立しました。

 

Q.会社はすぐに軌道に乗ったんですか?

いえ。12月に会社を作って、最初の仕事が決まったのは翌年の8月でした。
それまで全然仕事なし!つぶれるかと思いました(笑)
それでどうしたかというと、ロサンゼルスの映画のEPK(各作品のメイキング・シーンやプロデューサー・監督、出演者のインタビューが盛り込まれたアメリカ製ビデオ・プレスの宣伝素材)を日本に持ってきて番組を制作しようと考えたんです。今では当たり前ですが、当時EPKをフル活用した番組は、日本にはまずなかったんです。
でも、僕らみたいな小さい会社は認知度が低いので、電話しても誰も信用してくれませんでした。それでどうしたらいいかを考えた結果、その当時、即座に文書が送れるFAXを使うことにしたんです。だってFAXはヘッダーに何時何分って記録が残るでしょう?それで条件面などを提示して、契約交渉をしました。そしてEPKがもらえるようになって、それを使った番組(テレビ朝日『HELLO! MOVIES』)がスパッと決まりましたね。

 

Q.映画以外の番組を作ろうとは思わなかったのですか?

映画で番組を作れるようになれば、その後も仕事は必ず来る、生きていけると信じていました。だから最初の番組が決まるまで、他のことに手を出すことはしなかったんです。
だから今でも、バラエティは出来ないんです。タレントたちをいっぱい使うのも、僕には向いてないですね。できません(笑)でも、それでいいと思ってます。

 

Q.その社長の読みはその後、当たったのですね?

いろいろタイミングも良かったんです。
テレビ朝日で『HELLO! MOVIES』が始まったのは、1988年の10月でした。
そしてWOWOWの開局が1990年12月だったんですが、開局記念の最初の特番で、WOWOWのプロジェクトチームの人が『HELLO! MOVIES』を見てくれていて、「あの番組のプロダクション、誰か知らないか?」という話しになったそうです。そして連絡があり、開局特番を映画中心の番組にするということで制作を依頼されたんです。

 

Q.WOWOWの開局特番とはすごいですね。

WOWOWの開局は12月1日だったんですけども、12時間放送の9時間を担当することになり、ロンドン、パリ、ロサンゼルス、香港、ニューヨーク、そして国内で撮りました。お陰様で高い評価を得ました。

 

Q.その後の経過は?

そのあと紆余曲折あり、どうしたかといいますと、私の夢でもあったロサンゼルスに専門の会社を作ることにしたんです。ロサンゼルスに会社があれば、積極的にハリウッドの取材が出来ますからね。
今でも覚えてますが、1992年の5月の連休明けに、ロサンゼルスに行ったんです。会社にも何しにいくかは黙って。「おれ、ちょっとロス言ってくる」ってね。そして向こうで、会社を作るのにいくらぐらいかかるのか、弁護士にいくらかかるのか、なんてことを調べて帰ってきたんです。
そして帰国して一人一人呼んで、話をしました。
バブルがはじけて、世の中大変だ。でも、だからこそ出るんだよ!今こそがチャンスだと。逆転の発想で行くぞ!ってね。不安の声もあったんですが、借金もしてないし、1年間は大丈夫。それでダメなら引き上げればいいと説明しました。

 

Q.ロサンゼルスに拠点が出来て、仕事がさらに広がったんですね?

ちょうどいいタイミングで、スポンサーの担当者から連絡があったんです。「映画関係の番組を作りたい」。
そこでロスに会社を作ったことを話して、番組を作ろうって言ったんです。そしてスポンサー及び発注局がOKして始まったのが、『シネマ通信』(テレビ東京)です。
WOWOWからも、シャローン・ストーンとジーン・ハックマン主演のサム・ライミ監督の映画『クイック&デッド』のメイキングを撮りに行ってくれと言われて、すぐに対応できました。
あの頃、ロスからの情報は、我が社の対応能力の高さを評価され、たくさん仕事が入りましたね。

 

Q.ロサンゼルスに会社を作るに当たって、社長独特の嗅覚があったんでしょうか?

いや、そんなことはないですよ。「これはいいじゃないか!」と思って行動しただけ。
若かったし、ちょっとお金も少しずつはあったんで、それを上手く使ったということですね。
それにタイムワープを最初に作った頃から、スタッフと酒を飲みながら、「俺はいつか、ロスに会社を作る」って言っていたんですよ。やっぱり向こうに出て行ってやらないと。単にEPKとか予告編とか、人からもらっているだけじゃしょうがない、と思っていました。

 

――社長の熱い信念が感じられます。

 

Q.社長の性格は?

自分でいうのは負けず嫌いで、粘り強いところがあるかな。
タイムワープを作ったあと、会計士に言われましたよ。「時盛さん、たった一人キー局の人を知ってるだけで、番組のこととか全然知らないのに、よく会社を始めましたね。100m先の針の穴に糸を通すみたいなもんですよ」って。でも、我慢強くやったと思いますね。

 

Q.さて、社員の皆さんとコミュニケーションを図るためにしていることがありますか?

毎週月曜日、会議やったりしてますね。
そして内線で「ちょっと来て」と言って、この部屋に呼ぶんですよ。あれどうなった?こうなった?とか言ったりして、本当に細かくコミュニケーションを図ってます。
ま、若手社員には「どうだ、元気か?」ぐらいですけどね。でも、こいつ凄いなぁとか、見ていると分かりますよ。

 

Q.例えば、社員の方の仕事ぶりのエピソードは?

ロサンゼルスに、小池っていうスタッフのがいるんですが、こいつが凄いんです。
例えば、アンソニー・ホプキンスは本当にインタビュー嫌いで、他のプロダクションのスタッフは話しを聞けないんですよ。でも小池は、度胸良く話していくから、バンバン跳ね返ってくるんです。そのあと「プレミア」といって、試写会やる時にレッドカーペットをスターたちが歩くじゃないですか。その時にも、小池は一度会ってるもんだから、パッと呼ぶと来てくれて、インタビューを撮れたりするんです。
最近では、クリント・イーストウッドにインタビューしたあと、パーティがあるんでその会場に行ったんですって。するとクリント・イーストウッドが来て、インタビューが非常に良かったって、ハグしてキスしてくれたって言うんですよ。そういうことが多いんです。うちの小池は。
入社した頃は、WEBサイトを作ってる「デジタルタイムワープ」で、スターのデイリーニュースをやっていました。「こういうのをやってると、スターのことが全部分かるからね。今はやっとけ」って言ってたんですよ。
そして2009年に『シネマ通信』を制作したときに、ディレクターに起用したんです。「え!私こんなことやったことない」と言ってましたが、「お前ならできる」と言ってやりました。英語がネイティブでいいんですよ、歯切れが。
僕は社内の若手を登用して、成長していく姿を見るのが好きなんです。

 

Q.会社をやっていく中で、特に力を入れていることは?

2000年に、コンピュータ編集を取り入れたんです。
その当時からファイナル・カットを入れちゃって、テロップからなにから入れて全部社内で編集を終えてました。外でやるのはMAだけですよ。
でも当時、ソフトがめちゃくちゃ高かったんですよ。ハードディスクも高かったし。100万とか300万近くしたんじゃないかな。それでもガンガン金突っ込みましたね。
そしてADからみんな、コンピュータ編集ができるようにしたんですよ。
そういう会社もあるかもしれないけど、うちは早いうちから、そういう所に力を入れてました。

 

Q.その他、仕事上のエピソードは?

1997年に、クリストファー・ドイルっていう香港のキャメラマンが日本に来て、一緒に飯を食ったんです。彼はウォン・カーウァイ監督の映画の撮影監督として、ズバ抜けた才能を発揮してました。
その時、あいつは酔っ払いだし、俺も酔っ払ってたんですよ。それで「お前、監督してみるか?」と聞いたら「やりたい!」と。「じゃ、脚本書け。300万あげるから」と言ったんです。すると彼が、「みんなお前も監督やれって言うけど、お金を先にくれるやつは誰もいなかった」って言ってました。
でも、なんでこんなバカなことしたんでしょうかね?ま、酒飲んでたし、予算も少し余裕があったので(笑)
それによって1997年に浅野忠信君を使って、香港返還の生の取材と、ドラマ部分を撮影して『タイフーン・シェルター 香港返還の光と影』というフジテレビの特番として放送しました。

 

ここからは社長のプライベートについて伺いたいんですが――

 

Q.何か健康法や気をつけていることなどありますか?

5年ぐらい前から、夜遅くまでお酒とか飲まないですね。
だいたい7時ぐらいから会食やったら、ま、9時ぐらいに帰ります。二次会、三次会とか、「すみません」って言って、ほとんど行かないですね。

 

Q.では、好きな食べ物は?

僕はご飯、味噌汁、漬物あれば、それが一番です。究極は、そこに至りますね(笑)

 

――さて、ここで社員の方に、時盛社長についてお話を伺いました。入社して14年、時盛社長の片腕・取締役プロデューサーの樋尾さんです。

 

Q.時盛社長は、どういう社長ですか?

まず、情に厚いですね。もちろん社内では仕事なので語気が強くなったり、怒ったりすることもあるんですけど、根底にある仕事に対する情熱と人に対する愛情は、確固たるものがありますね。
入社した頃は分からなかったんですが、ずっと付き合っていくうちに、自分を犠牲にしてでも人を救いたいとか、人のためになりたい、テレビ業界のためになりたいとか考えていますね。
そして番組を作っていても、経営者ですからお金のことは大事なんですけども、うちの会社だけが儲かればいいではなくて、一緒に仕事をやってくださる方の幸福までをちゃんと考えている。そういう社長ですね。
時盛はいつも、うちの会社の人たちを、いかに幸せにできるかっていう話をしています。それもやっぱり、みんなの前では言わないんですよね。僕だけのとき、時々、コソッというんです。

 

Q.樋尾さんにとって、時盛社長はどんな方ですか?

僕にとっては、会社のボスではあるんですけども、個人的には兄貴のような存在ですね。
僕の中では、これ以上ないというぐらい信頼しています。人徳があって、仕事以上の人のあり方というのを、学ばせてもらってます。本人がいたら、ここまでいえないと思いますけど。

 

Q.逆に人間らしいところもありますか?

物忘れが、たまにあるんです。
「あれはあの人にあれしたかな?」なんて聞かれることもあります。慣れてくると「あぁ、あのことだな」ってだんだん分かってきますが。本人は、歳のせいだと言っていますね。

 

――ありがとうございました。最後に、再び社長にお話を伺います。

 

Q.これからの夢は?

これからは、ちょっとアジアにターゲットを絞ってみようかと。興味を持ってます。
でも、あと5年したら70歳になりますからね。70歳までのビジョンですかね。

広報委員の後記!

いろいろインタビューに答えて頂き、社長の人となりも分かりました。
本当にありがとうございました。