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広報委員が行く!会社訪問

 

株式会社クリーク・アンド・リバー社

所在地:東京都千代田区麹町2-10-9
C&Rグループビル
電 話:03-4550-0011
FAX:03-4550-0010
HP:http://www.cri.co.jp/
代表取締役:井川幸広

 

『広報委員が行く!会社訪問』第16回は、JASDAQ上場企業である、
株式会社クリーク・アンド・リバー社さまにお伺いしました。

インタビューアー:広報委員(株)タイムライン 磯貝昌彦
写真撮影:ウッドオフィスグループ(株) 岡村宇之

 

今回は、クリエイターのエージェント事業をはじめ、教育事業、ライツ事業、アジア展開など幅広く展開されている株式会社クリーク・アンド・リバー社の井川幸広社長にお話をお聞きしました。

インタビュー前に谷事務局長が同席してくださったおかげで和やかな雰囲気ですすめることができました。

 

Q.沢山の事業をやられていらっしゃいますが、今の事業内容をご説明いただけますか?

大きく3つに分けられます。
ひとつは、プロのクリエイターにあった仕事の提供をするエージェンシー事業です。請負、派遣と契約の形態は様々ですが、テレビや映画、ゲーム、web制作のクリエイターの方々に、安心して働ける環境を創るという事業です。プロ意識が高い人であればあるほど、クリエイターは組織よりも自分の技術やセンスで勝負するという傾向をもった人たちが少なくありません。独立独歩で、自分の技術やセンスが評価されて一人前、という考えがあります。
我々は、そういったクリエイターのエージェントとして、いかに良質な仕事を創れるか。仕事を通じてクリエイターの生涯価値をいか

に向上させることが出来るか、それをエージェンシー事業の目的として取り組んでいます。

2つ目は、プロデュース事業です。クライアントのニーズや課題を、チームを組みプロジェクトを組成して、作品創りにあたります。当社では、年間1,000を超えるプロジェクトが動いており、映画、TV番組、ゲーム、Web、雑誌等といった全てのメディアのコンテンツ制作を手がけています。また、受託だけでなく自社開発も進めており、クリエイターに利益配分を行うという、新しい収益モデル構築にも取り組んでいます。

3つ目はライツ事業です。クリエイターやコンテンツメーカーが有する権利を収益化する事業です。上海、北京、ソウル、台北にマーケティング拠点を設け、日本の出版物やTVのフォーマットのセールスにあたっています。

特に出版分野では、言葉の障壁さえ取り除ければ、世界で勝負できる作家は少なくありません。中国には13億人いますが、日本の書籍が翻訳されて書店で販売されているタイトル数は、年間1200冊ほど。それで2年前に上海に会社を設立して、中国の出版社を徹底してまわったところ、今では常時2,000冊のオーダーをいただくまでになりました。そこで各社の編集者と話をすると、日本の本の表紙や文字の構成、印刷の仕方とか、中身以前に書籍の外側だけでものすごく興味をもたれます。日本の書籍を、ちゃんと膝つき合わせて、「こんなことが書かれていますよ」「日本で話題になっていますよ」と話すだけでも、かなり興味をもってくれます。

当社は日本の書籍を、中国と韓国と台湾に版権をセールスしていますが、1年で約600冊の成約が決まりました。とは言っても、これだけでは大きな収益にならないのですが。
ただ、これだけ多くの出版に関わると、売れ筋というものが分かります。例えば東野圭吾さんの作品を中国に出すと30万部はかならず売れるとか、大前研一さんの本だと何十万部だとか。

版権セールスだけではなくて、中国の出版社との共同出版や、中国のベストセラーを日本で書籍化したりデジタル化したり、そういったビジネスがどんどん生まれはじめています。先日第一弾として中国のベストセラー作家「六六」氏の『上海、かたつむりの家』をプレジデント社から出版しました。日本の作家が日本だけでなく海外も同じマーケットとして捉えることが出来るサービスを創っていきます。

 

Q.現在、フリーランスのディレクターなどを支援する最大手の会社でいらっしゃいますが、会社設立以前はご自身もフリーランスのディレクターだったそうですね。

大手の撮影所で友達がアルバイトしていたのですが、たまたま彼が風邪をひいて私が代わりに行ったんですよ。そうしたら、撮影所にいる人ってすごく人間味があって、人情豊かで感化されまして。それで予備校をやめて、撮影所に入りました。それからドキュメンタリーを多く手がける毎日映画社で、映画製作のイロハを教えていただいた1年後にフリーになりました。

 

Q.フリーランスではどういった仕事をされていましたか?

23歳ぐらいのときはまったく食えませんでした。フリーになって1年目で、仕事もなくて。でも、24歳ぐらいから日本シネセルさんやテレビ朝日映像さん、共同テレビさん、あとは岩波映画社さん、そういうところから仕事がもらえるようになりました。早く演出家になるためには企画を書けないと、という思いで週一本のペースで企画書を書いていました。当初は、制作会社に持っていっても、目も通してくれませんでした。ダメ出しされてもしつこく企画を持って行ったことで、根負けしていただいたのか、少しずつ仕事をもらえるようになりました。それで仕事がまわりはじめて、もともと記録映画やドキュメンタリーだけだったのが、だんだんその幅も広がりTV番組も依頼していただくようになり、特番等も多く演出させてもらえるようになりました。

Q.それから会社設立を思い立つに至ったのはなぜですか?

当時、海外ロケが多くて20カ国ぐらいまわっていました。365日仕事漬け。ディレクターとして絶好調の時のことです。アフリカで難民キャンプの取材の依頼がありました。私の追いかけていたテーマは、社会のひずみやゆがみをあぶり出していく社会派のドキュメンタリーで、難民キャンプの現状を捉えて、世界に問題提起をすればこの人たちは助かるんだという想いがありました。ところが撮影が終わって帰る時に、倉庫に食糧があるわけですよ。現地の人に、「あれ?なんでこれが難民のところまでいかないの」と聞くと、政治的な問題であったり部族間の問題でストップしているのだと言う。それを聞いて、結局自分がやれることはここまでが限界なのかと。
映像の持つ力というのは、民衆を誘導したり、先導したり、問題を提議していく力はものすごく強いのですが、私の場合は最後の最後までやりたくなったのです。作物を作って食べてもらうという、そこまでやりたくなったのです。そうすると、映像の領域を超えてしまいます。それがきっかけとなって、一生このままじゃないなと思いはじめたのが27歳ぐらいのときです。

 

Q.一番最初に今のビジネスモデルを作るにあたって、なにかきっかけはあったんですか?

力を持ったクリエイターをサポートすることで、その人の持つ志を達成させたいという思いからです。自分がまだかけだしの頃、先輩や友人がどんどん辞めていくんですよ。仕事が無くて。明らかに自分より演出能力が高くて、素晴らしい作品を何本も手がけているにもかかわらずです。フリーとしてやっていくには、演出能力だけでは厳しい。そこにどうしても営業力というかサポートが必要で、だったら我々が精一杯サポートをしていこうと。それがクリーク・アンド・リバー社のスタートでした。

 

Q.クリエイティブから会社経営にシフトするなかで未練はなかったんですか?

1年くらいは悩みました。しかし結局はやっていることは同じなんですよ。例えばディレクターは何もないところから、何か自分の琴線に触れるものが見つかればそれでストーリーを考えます。
会社経営もそれと同じで、琴線に触れることというのが会社の理念とかテーマであって、シナリオが事業計画。そこに社員が集まって理念を追求する。作品は視聴率で評価されますが、事業は利益で評価されます。映像は、スクリーンやTVで訴えますが、会社経営は、それを事業で表現していきます。そう考えると映像制作と経営はとても近い。だからこそ、いろいろな映画を創るように多くの会社を創ろうと思いました。

 

Q.会社が大きくなるにつれて上場を意識するようになったんですか?

いいえ、それはもう最初からです。会社を作った時に設立趣意書にちゃんと10年後に上場するって書いていましたから。多分誰も本気にしていなかったと思います(笑)。ただ私が言っているだけで。
27、8歳の頃に4,500万円ぐらいを稼いでいたのでお金の稼ぎ方を身をもって知っていました。しかし、一人で稼ぐということは絶対大きくはならない。自分が病気したらそれでおしまいですし。そうするとビジネスをいかに単純にして、みんなができるようにしていかないと、ビジネスは大きくならないと分かったのです。それで、大きくする為にはロマンと算盤が大事で、上場は算盤を考える上で大事なステップだと思っていました。

 

Q.上場をきっかけに変わったことは?

経営に対する意識が変わりましたね。今まで自由にできたことが、上場することで多くの株主の方もいらっしゃるし、そういった意味での意識は当然変わってきます。あとは、資金に苦労しなくてよくなったこと。上場するまでは運転資金で10億くらい銀行から借りていました。上場してすぐに全部返しましたけど。やりたい事業は沢山あり、でも思いだけでは実現できないんですね。上場したことで、ようやく具体的に第一歩が踏み出せました。

 

Q.設立から今に至るまで、危機はありましたか?

もう何回もありましたよ。例えば会社を作って2年ぐらいの時、当社が結構お世話になっていたプロダクションが倒産したことがありました。それでクリエイター達に払う給料が回収できなかった。1,200万円くらいです。それで、そのお金を全部借金して払いました。取引先が倒産しても、当社のスタッフには関係ないですし、それを払わなかったらクリーク・アンド・リバー社を作った意味がないので。
そうしたら、そこで働いていた他社のスタッフたちが「そんなすごい会社があるのか」と気づいてくれて。そこから噂が広がっていきました。
その時は銀行にはまだ信用が無くて、友人や知人から50万とか100万単位で借りました。ですので、その半年ぐらいはとても苦労しました。

 

Q.昔を思い出して自分で作りたいなと思うことは?

それはしょっちゅうありますよ。でもね、会社を創るということと、映像を創るということは僕の中では結構近いんです。逆に会社の方がクリエイティブな制約はありません。映像だったら映像でしか表現できないですが、会社だったら映像でも使えるかもしれないし、いろんなもので表現できます。だから経営の方が私には面白いんです。それから、私は凝り性なので、また映画をやりはじめたら、経営はそっちのけになってしまうかもしれません(笑)

 

Q.今の映像業界に対して御社の使命とは?

我々が一番最初にやりたかったのは、ちゃんと産業として認めてもらいたいということです。産業とは何かっていうと、そこで働いている人が結婚して家を持って、それで老後もちゃんと蓄えがあって、余裕をもって暮らしていける。そういう産業を支える人たちの生活の安定があってこそ、社会が映像制作を産業として認められることになると思っていました。それでいくと当時、映像のアシスタントディレクターの人たちのことを考えると、とても映像産業と呼べるものではなかった。創業して22年経ちますが、アメリカの心理学者のマズローの5段階欲求で言うと、やっと仕事で食べられるようになったという段階です。でもやはりここからいいものを食べたいとか、自己実

現したいという段階まで、まだまだサービスをつくらなければいけない。そのために日本だけではなくて海外でもデビューできるようなサービスを早く構築したいと思っています。制作者が映画やゲームを創って、その権利で老後の蓄えが出来るような世界を作りたいし。そういったいろんなチャンスと可能性を広げていく為にも、まだまだやり続けなきゃいけないなと思います。

 

Q.それでは最後に、映像を志す若者に対してメッセージをお願いします。

やはり意識してもらいたいのは、日本という国を飛び越えたところで発想してもらいたいと思います。視野を広げれば、発想も違ってきます。ところが目の前のクライアントのことばかり考えてしまったら、やはりそこでの面白さとかそこでの価値観しかひっぱれない。その向こう側に、例えば中国があったり、タイがあったり、インドネシアがあったり、そういった文化の違う人たちもあわせて、どんな感動が創れるかっていうふうに考えていったら、何かそこに一本線の通ったクリエイティブが見つかるはずです。今の20代の人たちが今後そういった感覚を持ち始めたら、世界で活躍できるようなクリエイターが出てくるはずです。ぜひ皆さん挑戦してください。

 

 

【ブロードキャスティング・グループ 第二ブロードキャスティング・ディビジョン ディビジョンマネージャー 手塚達也さん】

 

Q.いま手塚さんがやっている仕事はどんなことですか?

ブロードキャスティング・グループというテレビ局をクライアントとした部署になります。ディレクターやAD等、映像分野のクリエイターをマネージメントしています。

 

Q.クリーク・アンド・リバー社はひとことでいうとどんな会社ですか?

井川の創業当初の想いや、コンセプチュアルな部分が末端まで浸透していて、クリエイターのために、クライアントのために、業界のためにということを社員一人ひとりがとても意識しています。起業するに至るまでのストーリーもそうですけど、比較的そういうところに心触れて入っている社員が多い。そんな会社ですね。

Q.井川社長はどんな社長ですか?

怖い社長です。まあそれはないですけど(笑)
今でも自分で旗振って中国まで営業に行ってしまいますし、自分で情報を取って来て、日々新しい案件がどんどん降ってくる。経営者であり営業マンであり、非常にバイタリティがあって、発想力があって、体力がある経営者だと思います。

 

Q.会社の自慢できるところはありますか?

そうですね、我々はクリエイター・エージェンシーであり、クリエイターを支援する会社なので、作り手に対する想いが強いです。エージェント一人ひとりが、クリエイターのお給料や、待遇、働く環境に対して非常にこだわる。一人ひとりの想いが強く現場に反映しているというところですね。

 

広報委員の後記!

会社を急成長させ、上場企業まで成長させた井川社長。
その根っこにはフリーディレクター時代から変わらない、温かく強い信念がありました。
映像事業に関わる全ての方々に貴重なメッセージを頂けたかと思います。

インタビューアー:広報委員(株)タイムライン 磯貝昌彦
写真撮影:ウッドオフィスグループ(株) 岡村宇之