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広報委員が行く!会社訪問

朝日メディアブレーン

所在地:静岡県静岡市駿河区大和2丁目6-29
電 話:054-283-9695
HP:http://www.amb.co.jp/
代表取締役:池田恵一

 

今回、訪れたのは静岡朝日テレビ系列の制作会社。朝日メディアブレーン。

【設立】

朝日メディアブレーンの設立は、1992年4月1日。
資本金は33,000,000円。
所在地は、静岡県静岡市。

 

【社屋】

JR静岡駅から車で5分。閑静な住宅地の中に突然現れた社屋。駐車スペースの広い2階建ての社屋が2棟。 敷地が広いのは、ここが元 大手の味噌会社だったからとか。社員数は72人。社員の半分は、同市内にある静岡朝日テレビに出向している。

 

【番組】

レギュラー番組は13本。いわゆる地元の1社提供のミニ番組が多いそうです。朝日メディアブレーンの一番のメイン番組は、月〜金の夕方の生帯番組「とびっきり!しずおか」(PM4:45〜7:00)他には「エンジョイ!DIY」という28年続いている番組。この番組は、毎回、日曜大工をしている人を取材しているそうで、スポンサーもズバリ、日曜大工用具を販売している大型店“ジャンボエンチョー”。

 

【イベント】

朝日メディアブレーンは、テレビ番組のみならずイベント制作にも積極的で、 大学でコンサートを主催したり、ショッピングセンターでファッションショーを開催したり、地震、防災フェアーを企画したり、上海万博の時には「静岡県ウィーク」での企画コンペに挑んだりと積極的に活動。

 

【CM】

他には、CMの制作も積極的にやっているんです 。 地元の代理店や企業に精力的に営業をかけ、1本20万円位の予算を獲得して、 CMを作り、オンエアしているとか。

 

【社長】

社長は池田恵一さん(57才)。 4年前、静岡朝日テレビから出向で社長に就任しました。 池田社長は、かつて夕方のワイドショー「とびっきり!しずおか」の番組立ち上げを担当、スタート当初2%だった視聴率を5〜6%まで引き上げたそうだ。それにより、編成に栄転。その後、報道制作局長に昇格。その後、突然の辞令で朝日メディアブレーンの社長を任命されたというのです。しかも、親会社である静岡朝日テレビに、いつまでも頼るのではなく、 制作会社として自立を目指せ!という命題があったそうです。
それまでディレクター、プロデューサーであった池田さんですが、いざ社長となって経営を任されるとなると、大分、勝手が違う。そこで、池田社長が最初に取り組んだのは経営の勉強。 簿記の講座を受け猛勉強。次いで手を染めたのが人事。 更に会社として自立する様、社員にハッパをかけ、テレビ制作以外の仕事も獲得しようと積極的に営業をかけ、CMやイベントを拡大していったのです。そして、3年で会社の資産を1.5倍にしたのです。今年は社員により多くのボーナスを出せるようにしたいと意欲を見せています。

 

【モットー】

そんな池田社長が社員に言っているテレビに関するモットーは、4文字の言葉。それは、“喜怒哀楽”。テレビは、この4つを表現できる、人間の感情を共有できる媒体なのだという。

 

[喜] は、おもしろいものを作って、笑ってもらえる。
[怒] は、ニュースを見たりして怒る。
[哀] は、ドラマやドキュメンタリーを見て、悲しみを共有し、 感動してもらったり、時には涙をさそう。
[楽] は、バラエティー番組や歌番組などで楽しんでもらう。

 

ーーーつまり、テレビの中には、喜怒哀楽が詰まっている。テレビと共に視聴者は、一喜一憂して毎日を暮らしている。 テレビは家の中にある、ほぼタダの最大の娯楽である。だから、テレビの力は大きいのである。それ故、テレビの作り手は誠実かつ熱 心に作らなければならないのだと。

 

【ターニングポイント】

池田社長の人生のターニングポイントにもなり、また一番、思い出に残り、忘れがたいある番組の話しを伺った。それは、静岡朝日テレビが開局15周年の 年(1993年)に行った企画募集であった。

 

この企画コンペに優勝すると、その制作予算は1時間半番組で3000万円使えるという。普通ローカル番組の制作費は50~200万円くらいなのだから大変なことなのだ。 当時39才、脂の乗っていた燃えるディレクターだった池田社長は、当然自分の企画を提出した。そして、ナント!!池田社長の企画は見事、優勝したのだった。

 

その企画とは“富士山の環境”に関するものだったが、さて、いざ企画が通って3000万で番組を作っていいと言われた時は、池田社長は、ハタと迷ってしまった。出した企画の“環境”ではたして視聴率が取れるのだろうか!?と自問自答してしまったのだ。池田社長は、考えた末、一度、自分の企画を白紙にしようと決断した。幸い、締め切りは、かなり先で時間はあった。一からネタを探すことに踏み切った池田社長は、“富士山と人間”で何かネタはないかと探し始めたのだった。

 

やがて、池田社長は強力(ごうりき)さんの存在を知ることになるのだった。

 

富士の山頂にある測候所に2週に1度、徒歩で登り、食料を運ぶ強力さんという仕事。これを四季で追えば、いいドキュメンタリーになるんではないだろうか…池田社長は、強力さんを調べていくうち、ある強力さんに行き当たった。その強力さんは、3人の子供を男手ひとつで育てている人だった。池田社長は、この方に大変興味を持ち、早速、取材対象者として申し入れに行った。だが、この申し入れは一蹴された。「冬の富士山はスケートリンクを縦にしたようなところで素人がいったら滑って死ぬだけだ」と、けんもほろろ。

 

しかし、池田社長は諦めなかった。その後、何度も何度も行ったのだが、ずっと断られ続けていた。断られてはいるのだが、池田社長は焦らなかった。辛抱強く通い、強力さんの 話し相手になろうと努めた。やがて、強力さんは心の重しをおろす様に口を開き、自身の身の上話しを語り始めた。

 

結婚して女の子を授かったが、その子が網膜細胞腫という重い病いにかかってしまったという。この病いは、目に出来る小児ガンでやがてその子は全盲になってしまった。その後、2人目、3人目と子を授かったが、1人目が全盲で、その後、立て続けに赤ちゃんが出来てしまったためか、奥さんは、ついに育児ノイローゼになってしまい、やがて自殺してしまったのだ。

 

突然3人の子供の母親役もやらなくてはならなくなってしまった強力さん。3人の育児をしながら、働ける仕事に変わるしかない。それまでやっていたサラリーマンだと時間が自由にならない。そんな時に、“強力”の仕事を見つけたのだった。強力ならば、2週に1度、富士山に登り数日だけ働いて結構いいお金になる。こうして、彼は強力となったのだった。

 

その話しを聞いた池田社長は、頭を叩かれた様に驚いたのだった。何故ならば……池田社長自身の三番目の女の子が神経細胞腫という難病にかかっていたからだった。神経細胞腫とは、やはり小児ガンなのだが、池田社長の娘さんのケースは足の踵に最初の症状が出たようだ。娘さんが2才のヨチヨチ歩きの頃、ある日を境にハイハイ歩きに戻ってしまった。近所の外科医院に連れていったところ、「悪いところはありません…」という診断。

 

それから、しばらくの間、通院したが、いっこうに良くならない。やがて、大きな病院の整形外科に行ったが、それでもよくならず、以前取材で交わした名刺を頼りに静岡県立こども病院の三間屋医師を訪ねた。診断の結果、娘さんは小児性のガン、神経芽細胞腫だと分かった。 以来、その治療に専念。抗ガン剤を投与したりの治療のため頭髪は禿げてしまったりしたが、順調に回復はしていった。もちろん、現在は完治し、健康で快活な大人の女性として生活している。ちなみに、池田社長は、こども病院で知り合った親同士で「親の会」を作り、今も会長をしている。他に「静岡県がん対策推進委員会」にも参加。積極的に活動している。

 

池田社長は、強力さんのストーリーをすべて聞き終わった後、「実は…聞いていただけますか?私の娘もあなたのお嬢さんと同じ難病にかかっているのです」 と話したのだった。同じ小児がんという病いを患う子を持つ二人は、その後、心の痛みを共有し、長い時間語り合った。そして、あれほど嫌がっていた取材の申し入れも自然にOKが出たのだった。

 

こうして、強力さんを追っかけるドキュメンタリーの取材は始まった。

 

富士山の四季を織り交ぜながら、20〜30kgの荷物を背負って、徒歩(かち)で登山する強力さんの姿をカメラが追う。カメラマンは、山の撮影を専門とする東京、千駄ヶ谷にある福原フィルムスにお願いした。春夏秋冬、その強力さんを同行取材する中にはいろんな出来事があった。 大晦日、冬山を登ってきた登山家が測候所に立ち寄った。その人はカメラの前で昼食のパンをほおばると笑顔で挨拶をしてすぐに出て行った。が、その登山家が一人で下山する時、事件が起きた。アイスバーン化した傾斜面で足を滑らせ、滑落。その人は死亡してしまったのだった。その様な忌まわしい事件も経て、すべての取材が完了したのは、取材開始後一年半の年月が経っていた。

 

その一年半の間、池田社長は、朝のニュース番組(生放送AM6:45〜7:00)を担当していて、その余った時間を利用して、強力さんの取材をし、そして編集をした。毎朝5時起き。15分の生ニュース番組を放送して、東京、千駄ヶ谷の福原フィルムスへ通った。終日、編集をして、最終電車で静岡に帰る繰り返し。連日の睡眠不足で倒れそうになった。

 

池田社長は、また、このドキュメンタリーの主題歌にもこだわった。自身が大好きだった谷村新司さんに頼みに行き、番組の主旨を説明した。「ならば、この曲が合うんじゃないかなぁ」と、谷村さんが使用許可をくれた歌『陽はまた昇る』という歌だった。谷村さんの歌がテーマソングとして流れる中、30kgの荷物を背負った強力さんが黙々と富士の頂上を目指す。四季の移ろいの中、測候所を目指す強力さんの姿は感動的であった。そして、この池田ディレクターの大作「雪炎!星と語る男たち」は、その年のギャラクシー賞(選奨)を獲得。合わせて放送文化基金 企画・制作賞もいただいたのであった。

 

取材対象者との熱心な折衝、自身の子の病いの問題。一年半に及ぶ長い取材期間39才の池田ディレクターの汗と涙の大作は、こうして報われたのであった。1993年のこの一年半は、池田社長にとっての正にターニングポイントであった。

 

富士山を登る測候所員と強力

 

【趣味】

 

池田社長の趣味はゴルフ歴15年のゴルフがあるが、実はもうひとつ興味深い顔を持っている。地元の市民劇団『葵・けいき劇団』(http://www.siz-sba.or.jp/ryouri/ryugutei/gekidan/index.htm)の座付作家という顔である。彼の地、静岡は徳川慶喜公のお膝元である。今から、13年前に地元の文化サークルでお祭りの舞台で「徳川慶喜」を演(や)ったのがきっかけで、以来毎年、夏、400人収容の市民ホールで演劇をやっている。脚本、演出は池田社長。劇団のメンバーは30人、会社の会長さんから八百屋のおかみさん、大学教授と幅広い。平均年齢60才。最高齢78才までという市民劇団員だ。

 

【朝日メディアブレーンの社員の声】

 

(左:久保敦志さん/右:奥島美樹さん)

 

《奥島さん》
元々広告デザイナーをやっていた奥島さん。7〜8年前から映像に興味を持ち当社に入社。番組タイトルのロゴデザインやスーパーをデザインしている。

 

Q.この会社のいいところは?

A.自分自身の意見が言える。上下の垣根がないので、ストレスが少ない。

 

《久保さん》
ディレクター歴19年の久保さん。以前は「とびっきり!しずおか」の報道班で働き、今は、CMディレクターをやっている。でも、クライアントとの営業もしている。台本書きから、ロケ撮影、編集、ナレーション書きまで一人でこなす忙しさだという。

 

Q.この会社のいいところは?

A.会社の風通しがいい。

 

Q.池田社長はどんな人?

A.今、社を変えようと努力している人。自らが皆に常に提案を出してくれる前向きな人。

 

Q.会社の欠点は?

A.町外れにあるため、近くに食べる所がない。

 

広報委員の後記!

いつもニコニコしている池田社長。一見、ノホホンとしている様に見えますが なかなかどうして、大変な苦労人で忍耐強い人。オンとオフの切り替えがうまく、持ち前の好奇心の強さで人一倍、人生を楽しんでいる人と見ました。 ちなみに、1月の下旬は、タイの海辺へ取材かたがたグループで旅行に行き、 タイのマングローブを研究してきたとか。

 

インタビュアー:広報委員 (有)オフィスぼくら 岩立良作

写真:ウッドオフィスグループ(株) 岡村宇之