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澤田名誉会長放談

第5回の今回は、澤田名誉会長が報道局在籍時代のエピソードから、テレビ報道の未来について語っていただきました。

 

《第5回》

 

■「予算なんか気にしていない?」当時の娯楽番組と報道番組

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民放テレビが出揃って10年、昭和45年頃、大阪万博の前後、好景気もあって、テレビ局全体に「多少、赤字が出たって良いものを作れ」っていう気持ちが強かった。
例えばドラマなんかで「芸術祭」というと良い俳優をいっぱい使って、セットも華やかにして上限なくお金を使っても許された。勿論、そんなことを出来るのは数少ないディレクターだけで、お金を使いたくても使えない料理番組のような番組もある。
スタジオのいつも同じセットで、十年一日の如く料理の先生相手にやっていたものだが、最近は食べることや料理に関心のある人がふえたから「料理の鉄人」のようなものすごい予算をかけてつくる料理番組も現われた。その代わり視聴率をとらないと消されてしまう。
開局から10年ぐらいは、制作スタッフに予算を考えながらつくるよりはおもしろいものを作ろうという思いの方が強かった。儲けを考えているのは経営スタッフだけだったんではないでしょうか。
ディレクターによっては、しょっちゅう赤字を出す人ときちんと予算通りつくる人がある。それでもそれで叱られたとかほめられたという話はきいたことがない。
私は制作部にいた間、ずい分番組を作りましたが、一度も赤字をだしたことがなかった。それが制作プロダクションに出向させられた理由かな。(笑)

 

■選挙特番、ニュース番組は“聖域”

参院選挙はきまっているから予算が立てられるが、衆院選挙はいつ解散するか判らないから予算はなく、予備費で処理してるから使い放題という感じでしたね。今はどうか知りませんが・・・・。
かつて唄子・啓助さんが司会した「おもろい選挙」というタイトルでフジテレビが選挙特番をやったことがある。
フジテレビの看板番組の一つに「おもろい夫婦」というのがあってその司会が鳳啓助・京唄子さん、他局では考えられない大胆さで、報道の関係者は「おもろい選挙ってなんだ!?」と相手にしてなかったが、これが視聴率をとった。(笑)唄子・啓助さんが選挙情勢の分析をしたり政治談義をするわけではなくスタジオに立ってみているだけだったような記憶しかない。
タイトルに「おもろい」とつけて何かありそうだと思わせるという見世物興行のやり方なんだけど、視聴者は当選の結果が判ればいいのだから、少しでもおもしろさを期待する気持ちからテレビ局を選んだのだろう。でもこのことが以後の選挙特番のつくり方を変えたと思います。
今ではお笑い芸人が司会を担当する情報番組が珍しくないし、コメンテーターとして意見を言うのは当たり前になっています。僕がテレビ局にいたころは“ニュースを読むとか、レポートをするのはテレビの中の聖域”で、アナウンサーとか報道の人間じゃないとダメだった。

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ニュースは新聞記者が取材してきたものを「○○新聞ニュース」としてラジオもテレビも放送していたし、人事面でも長い間日本テレビの報道局長は読売新聞のデスクが出向していたぐらいでしたから早朝の情報番組として企画した「ズームイン!!朝!!」もニュースを扱えず、私は朝刊を壁に張ってカメラで紙面をアップにして解説するという安上がりの手法を考え出したのです。今は拡大コピーをしたり「みのもんたの朝ズバ!」なんか大きなパネルにしたり金をかけてますがね。(笑)テレビ局が最高の報道機関と思っているとすれば、もっとテレビ局の人はアイデアを出して完全に新聞依存から脱却しなければテレビメディアの確立はありえないと思います。

 

■徐々に変化を求めていった報道

あとで判ったんですけど僕の報道部への異動には意味があったんですね。朝日放送の制作部で一番働いていた僕が報道へ移ったんでいろんな噂がありました。でも僕自身は番組のストーリー・プロットづくりに疲れ果てて、つくり物でない報道に憧れがあった。
世の中で起きる予測できない事柄に次々と対応してそれを伝える仕事はおもしろいなァといつも思っていたんです。報道に行ってからは完全に報道の仕事を覚えないといけないと現場へ出かけていったし、記者クラブも一ヶ月づつ全て廻り、朝日新聞社の編集局にも一ヶ月通いました。名前だけは知られてましたから新人扱いではなく、いろんな企画も提案し番組もつくりました。取材では特ダネを拾ったこともありました。
でも6ヶ月しないうちになにか違うな、単純なドラマのような事件ばかり起きる世界を、人間関係について考えることもなく、警察や役所の発表や表面に見えたことしか伝えられないのもつまらないなァと思いはじめたころに大阪に制作プロダクションを作るからそこへ出向しろという内示がありました。
大阪ではじめてのことなので事務所づくり、人集めから大変でしたが、それを廻りに知らぬ顔をして報道の勤務の間にこなさないといけない。 なかなか辞令が出ないんで調べたら報道局長が反対しているというので社長に直訴してやっと辞令が出た。二ヶ月かかりました。
局長は僕の前にも、制作部から人をもらっていて僕で3人目、いまの「ニュースショウ」みたいなものをやりたかったんで3人に報道の勉強をさせてるつもりだったのです。
局長も新聞社から来るニュースを電波にのせるだけというのはおかしいと思っていたんですね。それならそれで早く言ってくれていれば、制作プロダクションのような当時は全く前途が読めないような話にのらなかったのにと思いましたが運命ですね。でもこの報道経験と不満は「ズームイン!!朝!!」で活きました。

 

■今の新聞報道とテレビニュースの関係はどうでしょうか?

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特に速報性においてはテレビの方が新聞の何倍も優れている。号外も“号外を出す”ということでニュースの大きさを知らせる効果があるだけで、せまい範囲にしか情報は伝わらない。でも情報をいつでも確認できる利便性やニュースの解析力においては新聞の方が優れているといわれている。
しかしこれとていまのテレビの「ニュース解説」のような手法や、ニュースをただ伝えるだけでコメンテーターも時間に追われて表面的な解説しかできないというニュースショウの事情に対する評価で、NHKの「クローズアップ現代」などはそういった評価に対する答えになっていると思う。
それでなくても女性の政治に対する関心度の高さは政界の脅威となっていてテレビの影響が大きいことは定説となっている。池上彰さんのニュース解説番組の視聴率の高さを考えると、高齢者の新聞離れの日も近いのではないかと思ってしまう。 今やテレビ局は事件現場へ記者と同じぐらいのスピードでカメラが到着しすぐ放送できる能力はもっているし、一般人の撮った不安定な映像を使うことも当たり前になったいま、ニュースの速報性もテレビの優位性を示すものではなく、人に伝わるスピードはネットにかなわないとすれば、テレビがいつまで優性を保てるかはわからないのではないか。

⇒第6回へ続く

 

インタビュー:三村裕司(ネヴァーストップ)
ライター:山戸良祐